なぜオウム真理教の林郁夫は死刑ではなく無期懲役だったのか?

ど~も、こんにちは、管理人のケイです。

日本史史上最も最悪のテロ事件である地下鉄サリン事件。

この事件に関わった人は10人以上にもわたりますが、その実行犯の中に林郁夫という人物がいるのを知っていますか?

つい先日、オウム真理教の7人が死刑執行されましたが、この林郁夫は死刑ではなく、無期懲役で済んでいます。

今回は、林郁夫を死刑ではなく、無期懲役になった理由について考えていきます。

林郁夫の簡単な経歴

1947年に生まれた林は、父親が医者、母親も薬剤師の家系で生まれした。

やはり両親が医療関係者であることもあるのでしょうか、自身も医者になろうと志します。

その後、慶應義塾大学医学部に入学します。

私立大学の医学部の中で最も偏差値が高く、本当にエリートなんですね。

オウム真理教の幹部は、理系のエリートが多かったことも社会の注目の的となりましたね。

その後、医師として患者に立ち会ったり、アメリカの医療現場にも留学したり、病院に勤務しています。

ここまで見ると、医者になるだけで終わるのではなく、もっと多くの人を救うために、勉学に励んだいる印象を受けます。

なぜ、このような優秀な医師がオウム真理教に入信したのでしょうか?

入信した理由は、主に2つあります。

(1) 医者として患者と接していくうちに、宗教に答えを求めるようになったから

林は医者としての専門は心臓血管外科でした。

心臓を取り扱っているだけあって、常に緊迫した状態で過ごしていかなければなりませんし、多くの「死」と向き合わなければなりません。

そして、「医学や科学が本当に正しいのか」と考えるようになり、様々な宗教に関心を抱くようになりました。

その後、本屋で麻原の本に出会い、徐々に傾倒していくことになります。

(2) 自らの交通事故による自責の念

これは不運ですが、不注意で自動車事故を起こしてしまいました。

その自責の念から、宗教にその償いを求めたのかもしれません。

このことから、1989年に42歳でオウム真理教に入信しました。

1995年3月 地下鉄サリン事件の実行犯を行い、2人を殺害、200人以上の重軽傷者が生まれました。

なぜ、死刑ではなく無期懲役になったのか?

死刑の基準になるものとして永山基準というものがあります。

この基準は、(1) 犯罪の性質 (2) 犯行の動機 (3) 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性 (4) 結果の重大性、特に殺害された被害者の数 (5) 遺族の被害感情 (6) 社会的影響 (7) 犯人の年齢 (8) 前科 (9) 犯行後の情状 になっており、条件を満たしているように思います。

では、なぜ無期懲役になったのか?

事件の自供

事件後の自分の行動による自責の念、麻原の発言によってオウム真理教への懐疑によって、地下鉄サリン事件についての真相を解明するような事件の自供をします。

地下鉄サリン事件は、様々な路線や駅で行われたため、真相を解明するのに時間がかかりました。

しかし、この供述によって、真相は明らかになるのに時間が短縮されたと言えるでしょう。

被害者への謝罪

週刊文春で手記を発表し、このオウム真理教事件に対する自身の悔恨や真相を発表しています。

この印税を被害者遺族へ渡しています。

また、事件後、被害者への名前を念仏されていたとされています。

被害者の一部の方からも、林を許してやってほしいとの声もありました。

裁判長の酌量

当時の山室恵裁判長は次のように死刑を免れた理由として、弁明しています。

自己の記憶に従い、ありのままに供述していることが認められる。極刑が予想されるなか、臆することなく決定的に不利な事項にまで及んでおり、覚悟したうえでの胸中の吐露であって、被告人の反省、悔悟の情は顕著である。

他の実行犯は死刑判決を受ける中で、山室裁判長は「他の実行犯は死刑判決受ける中で、自分の無期懲役は正しかったのか」と後に、語っています。

終わりに

史上最悪の事件の中で、唯一死刑を免れた林郁夫という人物。

「純粋に人を助けたい。」という思いから医者になったものの、人の命を奪うというのは何とも皮肉なものになりました。

また、オウムの後継団体とされる宗教団体には、今もなお事件を知らない若い人の入信者が増えているとされています。

この事件を起きないようにするために、どんな社会が必要なのかを考える必要があります。

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